2017年12月12日

コーチング的不毛な親子コミュニケーションからの生還方(学内テスト)

患者様でお子さんと学校の勉強について
アドバイスすればするほどイライラして
やけ食いしてしまうけれど、解消法は
ありますか?

との質問を頂きました。

私なりのコーチング的な視点からの
考えをお伝えし、機能している
ようなのでシェアします。

テストが出来なかったことに
フォーカスして、必要以上に問い
詰めたりしてしまうことは、多い
かと思います。

そして、現状を改善してより点数を
とることは、かなりのスパルタ教育に
なることもあります。

ただ、結果的には高得点をとれた
としても、自ら望んで勉強を
し続けることにはなりません。

また、自分なりの勉強のコツを
掴むことは、難しくなります。

コーチングのセンスを駆使し、
可能を開くコミュニケーションを
した場合には、どうなるかの
例をあげてみます。

親「テスト、30点だったんだ。どう思う?」
子「・・・ちょっと悪かったかな」

親「あまり勉強していないように
  見えたけれど、30点はどうやって
  とれたの?」
子「たしか授業中に先生が、ここだけは
  しっかり覚えなさいって、繰り返し
  言っていたからかな」

親「そうなんだ。その授業をよく
  聴いているんだね。」
 「解るように教えてくれたんだね」
 「それじゃ、あと70点取るためには
  どんな方法が考えられるかな?」
子「もっと先生の話を聴いて、
  もう少し復習すればいいかも」

親「他には?」
子「予習もしっかりやる」

親「他には?」
子「まとめノートを作って、
  解らないところを先生に
  聞くとかかな」

親「他にもあるかな?」
子「もう思いつかないや」

親「けっこうやれることが
  あるよね!」
 「で、どうする?」
子「今からコツコツやろうかな」

親「しっかりね!」
 「何か困ったりすることが
  あった時は、応援するから
  すぐに言ってね!」
子「はーい!」

このようなコミュニケーションだと、
「できなかった」ことを追及
するのではなく、100点をとれる
かもしれない未来を創作する志向に
なります。

子供も点数の良し悪しとかではなく、
可能を開く会話なので、
支配を逃れるために「言い訳」を
考えるのではなく具体的に
自らを観察して「自分でもできるかも」
と、バイタリティが湧いてきます。

日々の施術でもとりわけスポーツで
トレーニング中に負傷して通院される
中高生にも上記のような会話で
当初の目標だった成績や記録を
あきらめずに達成できるお手伝いに
なっていれば幸いとなります。
posted by スティンガー at 09:18| 東京 ☀| Comment(0) | コーチング | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

研修中のころ

ご縁があって柔道整復師になるべく
当時合気道の師範でもある先生の所で
お世話になっていました。

研修中も子供ながらに心臓を患って
病院通いが背景があったので、できる
限り患者さんの気持ちに寄り添う
意図でコミュニケーションしていました。

もちろん今でもその気持ちは変わりません。
病院通いしていて、子供心に

「様子みましょう。」

だけ言われても具体性がないので、
今の自分の状況もさることながら
”どう”だったら問題なくて
 〇〇だったら危険だから
直ぐに何らかの対処するなど
???の繰り返しに不安を
感じていたものです。

研修中の私には患者様からすると
大先生ではない分、似たような
不安がある時にコッソリ聞いて
もらえるよう依頼がありました。

そして様子をみると言っても、
出来る限り具体的に言語化する
ように自分なりにトレーニング
していました。

その甲斐あってか、患者さんや
お隣の飲食店の大将にも気軽に
声をかけてもらえるようになり、
バイタリティが湧いていました。

ただ・・

ある時、大相撲の千秋楽の
テレビ中継を患者さんと先輩たちで
見ていて盛り上がっていた時に
つい私もチラッと見たことがありました。

そこに居合わせた人が全員テレビに
注目していたと思っていたら、
お隣の飲食店の大将だけは違っていました。

いつも食べに行くと大盛りにしてくれたり、
元気づけてくれたり、とても親しく
してくれたのです。

でもその時は小声ではありましたが・・

「見習いっていってもテレビかよ・・。」
って微かに聞こえた気がしました。

思わず”ハっ”と我に返って大将を見ると
目線を逸らされてしまいました・・。

直接施術をしていたわけではありませんが、
呆れた様子でした・・。

取るに足らないことなのかもしれませんが、
その時の自分は「あ~やっちゃった・・」
と、強く思い、いまだに忘れられない
エピソードとなっています。

その後大将は何事もなく接してくれましたが、
心の中では反省の念が強く
自己弁護ではあるけれどもその想いを伝へ、
今後の在り方を宣言しないとおさまりが
つかない状態でした。

結果、軽く笑い飛ばされましたが、
しばらくは緊張が続き顔が強張っている
ことを指摘され更に緊張したことが
今でも思い出されます。

これからは、若手を育てる立場として
初心を忘れずに前進しようと思います。 
posted by スティンガー at 17:08| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年12月09日

八光流合気柔術にであって

運動の制限を指導されたことで
小学生の自分には様々な体験を
することになりました。

今振り返ると母の小学生時代の
恩師を通じて紹介された合気道との
出会いがこんなに生き方に
関わるとは思いませんでした。

八光流合気柔術といって、
武道のマニアで愛読される空手道
という本に登場する武道家の
ほとんど影響を受けたと思われる柔術です。

当時海外の警察からも逮捕術として
習得したいとのオファーもあった
とのことです。

現在も埼玉県大宮市に八光塾本部
として国内外から稽古に通う方が
絶えません。

合気道といっても八光流合気柔術は、
初代宗家である奥山流峰氏の提唱する

「挑まず・逆らわず・傷つけず」

の理念と、護身道として理不尽な
暴力からは柔術で身を守り、自分や
家族の健康は経絡体操や指圧で守る
ことを一貫して伝えています。

TV報道など見ていると物騒な事件が
思っているより身近で起きることが
増えているように感じます。

以前、整骨院内で柔教室を
開催した時は、経絡体操の後に
護身術を練習していました。

その時は護身術といっても技を
実践で使うことはほぼ無いので、
ちょっと変わったストレッチ体操
のような感覚で取り組むことを
推奨していました。

例えば胸や腕を掴まれたときに
効果的にとき解く技をかけられた際には
掴んだ上肢を捻られて抑え込まれる体勢
になります。

すると、かなり上腕部から前腕部に
かけてストレッチされます。

当然強く技をきめると痛みも強く
感じますが、護身術なのでしとめる
必要はありません。

よって申し合わせの練習で技の
決めのところで調節すると効果的な
ストレッチになり、技をかけて
もらうことで体調などが良くなる
ことにつながります。

こうして技といってもストレッチ
体操的な感覚でおこなっていましたが、
物騒な事件などを見聞きするとしっかり
実践的な護身術を稽古する必要があると
感じています。

もちろん護身術を実践しなければならない
状況は可能な限り避けるように心がけも
必要ですが・・

移転以降中止していた柔教室も
要望もあるので再開しようと思い、
近所の公民館などをあたってみたのですが、
名前だけ聞いて柔術なんて激しいことは
開催出来ないと断られてしまいました。

和室でゆっくりとストレッチ体操程度と
伝えても中々言葉のイメージを変える
ことができません。

体育館は、畳を持ち込むなら可能との
ことですが、毎回畳を持参するわけにも
いかないので、保留としています。

移転前に開催していた時と同じように
整骨院の中で少人数で再開するしかない
のかと検討しています。

八光流総家の理念を背景に私なりに
合気とは人と人とのハーモニーと
捉えて普及に努めたいと思います。
posted by スティンガー at 10:09| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする