一人旅の行先は北海道でした。
演歌の歌詞に登場するような
寒々しい津軽海峡ではなく
夏の爽やかな景色が、
初の一人旅を出迎えてくれました。
鉄道オタクではないのですが、
北斗星の車両が現役を退き、
宿泊施設やレストランとして
活躍しているとのニュースを
TVで見た時に18歳のころを思い出しました。
当時は、列車の旅がしたかったのではなく、
バイクで北海道にツーリングに行く
手段としてモトトレインとして夏季限定の
パッケージがあったのです。
貨車にガソリンを最低限残したバイクを
積み、自分は寝台車に乗って
青森まで行き、青函連絡船で函館に
渡ります。
17時ごろまでに上野駅の所定の
場所からガソリンの残量を確認して
バイクを職員に預けてベルトで
キッチリ固定し寝台車に移動します。
寝台車には同じバイクで北海道を
目指す方々が集まっていました。
もちろん他の乗客も一緒ですが、
バイクで北海道ツーリングが目的と
分かる人たちでいつの間にか
座談会となっていました。
ほとんどが、私と同じで初めて
北海道ツーリングに行く方でしたが、
その中に北海道にお住いの方がいて、
色々とアドバイスをしてもらった
ことを覚えています。
当時は、当然ながらGPSもスマホも
携帯電話もありません。
地図は紙のロードマップだけでした。
その中で北海道に上陸してからの
予定順路を地図にピンクのマーカーで
塗っていた方がいました。
概ね同じような周り方なので、
その方の地図を見ながら北海道在住の
方に意見を求めていたら、縮尺の
関係でありがちだそうですが、国道が
途中で橋が無くて2~30km程度
迂回しなければならない箇所を
塗りつぶしていることを指摘してくれました。
確かに目を凝らしてよく見ると
川に橋がかかっていませんでした。
しかも迂回路は未舗装とのことです。
当時は道内の300番台の国道は全て
未舗装だったと記憶しています。
一通りこれから始まる旅の期待を
話し込んで、それぞれの寝台に
散って行きました。
狭い通路も、たまに停車する駅も
全てが自分の中では旅情ムードいっぱいで、
ワクワクしていて寝付けなかったことを
思い出します。
そしてついに演歌の歌詞に出てくる
青森県の津軽海峡に着いた時は
眠れなかったはずなのに、疲れなど
全く感じていなかったです。
そして、列車から青函連絡船最後の
夏の津軽海峡を堪能しました。
青函連絡船内には出稼ぎ労働者の
ために理髪店があり、
当時内地との行き来するときの
気持ちの在り方を切り替えて
いたのかなって思いました。