2016年07月27日

あなたは人の話を聞いていますか?それとも聴いていますか?

スタッフや仕事の勉強会などで、コーチングを伝える際に最初にすることは、
話しを聴くトレーニングをしています。

これは聴くことが、いかに人を安心させ、癒し、気持ちをリラックスさせるかを
体験してほしいからです。

「聴く」ことが得意になると、これまで見えなかった観点や人の行動心理が
より分かるようになってきます。 組織の中では、トラブルを未然に防いだり
共同作業の効率化や報・連・相(報告・連絡・相談)がスムーズに機能します。

「聞く」ではなく「聴く」なのには、理由があります。
「聴く」という漢字と「聞く」という 漢字では、実際の意味も違います。

聞くという字は、もんがまえに耳、家の中に入って聞くということです。
聴くは「十の目と 心で耳を傾ける」という意味です。

聞く=英語のhear(聞こえる)音がただ耳に流れてくる状態で、
聴く=listen (意識して聴く)もしくはattend(注意して聴く)集中して聴いている 状態です。

ただ、コツをしっかりつかむまでは、知識も得て、コーチングするぞと張り切っていても、
最初のころは、まったく人の話しを聴けていないことが多くあります。
しっかり聴いていた「つもり」が、聞いていただけだったことに気付くこともあります。

私の場合は 「相手は何を言いたいのかな?」「本当はどう思っているのかな?」
「きっとこの人は、こんなふうに考えているはず。」 などと考えながら
「聞いて」いたことに気がつきました。

これでは、ただそのまま「聴いてる」ことにはならなかったのです。

初めて、補助輪を外した自転車に乗れた時と同じように、失敗を繰り返しながらも
トレーニンクを積んで、「ただそのまま聴く」ことができるようになってくると、
相手の 話しだけに集中することができるようになり、いつしか不思議なことに
相手との会話も 弾むようになっていたり、沈黙がつづいても余計なせん索をせず、
場を楽しめるようになってきます。

気がつけば、自然とコミュニケーションが、 楽しめるようになってきます。
考えながら聞いているということは相手とではなく自分の内面と、閉じた
コミュニケ ーションをとっていることになります。

相手は、あなたが聴いていないことを敏感に祭知して、話すことが苦痛になってきます。

そして、だんだん口は重くなり、探られているよ うな気がして、どんどん理解を
されていないと感じることになってしまいます。

常に聴くようにしていると、疲れてしまうというイメージがあるかもしれませんが、
これは違います。

相手のいっていることに、解釈をつけてしまったり、思い込みで判断して
先まわりをすることのほうが、はるかに自分自身を疲れさせているのです。

なによりもまずは、相手の話しを聴くことが大切です。
聴くカがつくと、相手もあなたも、楽しい時間をいっしょに過ごすという、
人間関係が築けるようになって気持ちも軽やかになることが感じられると思います。
posted by スティンガー at 01:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチング | 更新情報をチェックする

2016年07月25日

”つもり”と”期待”は機能しないことがありますね。

○○のつもりだったのに・・・
○○になったつもりで頑張れ・・

たしかにイメージトレーニングなどでは、とってもポピュラーな方法です。

セルフコーチングのように自分自身のパフォーマンスや意識を高めるために
想像して疑似体験としては機能する方法です!

しかし・・・

自分以外へ向けた”つもり”は必ずしも機能するとはかぎりません。
コミュニケーションは、双方向でなければ成立できません。

自分では相手のことを想って○○のつもりで取り組んでいたとしても
双方向のコミュニケーションなくしては、自分だけの勝手な思い込みだけでしかありません。

似たようなことですが、自分以外へ向けて期待することも
ある意味自分勝手な思い込みだけのことがあります。

期待外れだった・・・ってありませんか?

つもりと期待は機能しないことがあるとしていれば
あらゆる可能にする方法や知恵が湧いてきます。

そして、不快な気持ちになることも少なくなると感じます。
繰り返しますが、セルフコーチングでは、かなり機能します!
posted by スティンガー at 00:55| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチング | 更新情報をチェックする

2016年07月24日

自分のためよりひとのため?!

何か人から頼まれた時は、ちょっと無理してでも引き受けてしまうことはありませんか?
自分のことだと、時間があっても中々着手できなかたり、なぜか今やらなくてもいいことを始めてみたりして、結局実践できないことが多いのではないでしょうか。

私は子供の頃、勉強もせずに遊びほうけていると、親から注意される時に
「勉強は将来の自分のためでしょ!」などとしょっ中言われていました。

確かにそうなんだけれど、どうにもやる気が湧かず、試験前でもなぜか
普段はあまりやらない部屋の片付けを無性にやりたくなったり、関係ない本が見たくなったりしていました。

もちろんそんな調子なので、結果は悲惨なものでした…。

しかしながら、自分ごとすら出来ないのに、なぜか頼まれごとは、
どんなに忙しくても一旦引き受けると期日までにキッチリやってしまいます。

部活動や研修生のころも、自分ごとは、気持はしっかりやらねばと思いつつも
優先順位が高いものに取組むほどに、どうでもいいことが気になってしかたがないのです。

こんな出来事でも様々なメカニズムが垣間見られます。

まずは、機能しないコミュニケーションの要素である自己弁護と正当化です。

怠けている自分を無茶苦茶な言い訳を作り出して、勉強したい気持はあるが、
やらないのではなく、出来ないとしてしまいます。

エネルギーは、使えば使うほど減少します。

反対にバイタリティーは、不思議と使えば使うほど湧いてきます。

言われて仕方なしにやらねばならない勉強は、エネルギーは少々使い減少し、
バイタリティーは湧いてきませんので、全てマイナスに向かいます。

そして、人に頼まれた事にしっかり応えるのは、"甲斐"があるからです。

貢献するともいいますが、貢献すると見返りがあります。
エネルギーは使うので減少しますが、バイタリティーは湧いてきますので、プラスに向かいます。

自分ごとであってもそこに少しでも甲斐が見出せればバイタリティーが湧き、
目標達成や自己実現に近づくことができます。

仕事や勉強も自分以外の人が喜んでくれることだと、甲斐を見出すことができます。

スポーツのシーンでもありがちです。
市民ランナーでもフルマラソンのタイムが3時間を切るようなレベルでは、
在り方によって成績が変わってくることがあります。

本業の整骨院で、ケガの施術を提供していますと、ランナーからタイムの伸び悩みを相談されることも多々あります。

今まで体育会系の出身者は、くじけそうになると、先輩や監督から「自分のためだろ!」と檄を飛ばされてきた体験をお持ちの方が多くいます。そこで歯を食いしばって頑張ってトレーニングを続けるのですが・・・

お話を聴いていると、最初は自分のためといい聞かせて頑張っていたのが、厳しさが増すたびに先輩や監督から怒られないためや、自分の成功を応援してくれるから底力が湧いてきたように感じるとのことです。

そこで、相談者の状態にもよりますが、あえて自分以外のために走るとするならばどんな人?
と質問してみますと、家族とか、友人・トレーナーなどがあげられます。

なんだか人間は人と人との間で存在しているように感じます。
世間とか瞬間とか間(ま)が身近に感じられます。
喧嘩しそうになったりすると、誰かが「まぁまぁまぁ」なんて間にはいったりして。
間→空間 そこには計り知れない力が湧くのかもしれません。
posted by スティンガー at 02:04| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチング | 更新情報をチェックする